LE MANSといったら「フジヤ」のマスターのブログです。 毎日様々な事について掲載しておりますので、是非ご覧下さい。
“毎日がル・マン”
東海大学


連日ル・マンのニュースがどこかのメディアが取り上げています。2,3年前では信じられない事です。その訳は言わずもがなの東海大学のクラージュ・オレカと童夢・ジャドS102のル・マン参戦です。

やはり日本車が出場しないとル・マンは盛り上がらないようです。去年ル・マンで東海大学の学生に会いましたが、今年は同大の学生が多数ル・マンにいくと思います。そして彼らはフランス人が日本贔屓だと言う事を実感するはずです。マシンを通じた日仏交流をして欲しいと思います。

僕は今年からル・マンに関心を持ってくれる人が増える事を期待しています。今までは日本のル・マンファンは大まかに言うと4つのタイプに分かれます。

1970年の“映画 栄光のル・マン”が入り口の方。1982年から始まったCカーが入り口の方。1995年日本のメーカー(HONDA,マツダ、トヨタ、ニッサン)多数が出場したル・マンが入り口の方、そして最近ル・マンに興味をお持ちの方はアストンマーチン、ベントレーと言う名門復活からル・マンを見始めた方です。

ル・マン クラシックに興味をお持ちの方はかなり年配の方です。そして極わずかですが、1930年台のオールドカーに拘っている方もおいでです。ですが一番ル・マンファンの多いのはトヨタ、ニッサン、マツダが活躍したCカーの時代です。
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”輪タクで銀座を走る“
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カミさんと久々のデート。取りあえず銀座に向かった。マリオン(日劇)裏の再開発された○Ⅰ○Ⅰのビルの前に自転車を改造したタクシーが止まっていた。初乗り\300が気に入った。カミさんの了解などまるで気にせず僕は流線型の乗り物に乗りたいと思った。
そこはそこ「恥ずかしいからよしましょう」などと言わないのがわが女房。僕達は運転手の青年に昼食を予定していたLIONビアホールまでの料金を聞き、颯爽と乗り込んだ。「僕が漕ぐから君は後ろに座りなよ・・」と運転手に言ったが無論それは叶わなかった。
交通会館の横を通って西銀座デパートの下を抜け、プランタン銀座の脇を抜けて伊東屋の前を右に折れて中央通りを走った。時速は11キロ。道の真ん中を走ると何時も見慣れた銀座の町がまるで違う町に見える。4丁目の交差点は大勢の人。道行く人が僕達を笑顔で見ていた。外人の観光客は親指を立ててウインクをくれた。気持ちが良い約15分程のドライブだった。
終戦後すぐに東京の街に自転車を改造した“輪タク”が進駐軍の兵士を乗せていたのを思い出した。近代的なこの自転車タクシーを僕は昨年ル・マンで見た。それが東京に出現したのだ。そうだ今年はル・マンでこれに乗って街中をビデオに収めよう。
“今まで出来なかったル・マン体験が出来るかも・・・”
毎年泊めてもらっているマンブイ家のF婦人からメールが入り、「今年はいつもの様なお手伝いが出来ないかもと」言ってきた。高齢で介護を必要としている婦人のお父さんの為にル・マン開催中に実家へ行くことになるかもしれないとの事だ。F婦人は毎年僕のル・マンでの秘書を勤めてくれて、食事、運転、ガイド、通訳とF婦人にはお世話になりっぱなしだ。だから僕は一人で町へ行ったり、昼食を取ったり、サーキットに行ったことはない。御手伝いできないことをF婦人は僕に申し訳ないと思っているようだが、そんな事を僕は気にしない。泊めてもらえるだけで満足なのに、今まで過分なサービスをしてくれたことに感謝、感謝だ。さてそうなると今までに経験したことの無いル・マンが体験できそうで、これはこれで楽しみだ。昨年の11月に開通したトラムに乗れば町からサーキットまで楽に行けるし、町にはACOのモニカさんやル・マン レーシングのソフィーが待っている。歩いて回ると今まで見たことの無かったル・マンが見られそうだ。今からワクワクする。
“親ばかセドリック”
ル・マンで僕と同じ居候のセドリックから生まれたての長女(マチルダ)と長男(トーマス)の写真を送ってきた。マチルダは奥さんのステファン似の美人だ。トーマスは僕が昨年クリスマスに送ったアンパンマンのスリッパを履いていた。早速マチルダに人形を贈ろう。フランスでは誕生祝に人形を贈る習慣があるようで、孫の夢羽が生まれたときにF婦人から可愛い動物のぬいぐるみが送られてきたことがある。僕はとても嬉しかった。今度は僕がマチルダにぬいぐるみの人形を贈ろう。セドリックは今年ル・マンに来るようだ。目じりを下げて娘の自慢をするかな。良いよ、聞きましょう!