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LE MANSといったら「フジヤ」のマスターのブログです。 毎日様々な事について掲載しておりますので、是非ご覧下さい。
“絶好調のASTON MARTIN DBR9 LM’06”
休みの次の日は何かと忙しい。それに輪を掛けて月曜日に発売されたHIRO社のASTON  MARTINに多くの方から注文を頂き、その発送で宅配さんが集荷するぎりぎりまで動きっぱなしだった。とても心地の良い疲労感を味わった。今年の同車のスタイルとHIRO社のパーツ構成を見て昨年のASTON MARTINを注文する方もいた。フジヤニュースに掲載する為に、今回お買い上げいただいた方に感想をお聞きしたいと思っている。そうこうしていると夕方にフランスから荷物が届いた。ル・マン100年祭(1906~2006)を記念し、ACOが編集した2冊組の“LE MANS a century of passion” の豪華本だ。今夜は長い夜になりそうだ。
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“モデルファクトリー HIRO社 2006年ASTON MARTIN DBR9 入荷”
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明日の到着が待ちきれず、息子をHIRO社へASTON MARTIN DBR9 2006を取りに行かせた。まるでお土産の包装紙を待ちきれずに開いてしまった子供のようだ。これこそ待ちに待ったキットだ。キットの出来は満点、しかも企画から商品リリースまでが速い、そして作りやすい。もはや世界中のメーカーを見渡してもHIRO社に適うメーカーはない。昨年のDBR9との大きな違いである、フロントカウルとそれを取り巻くパーツが見事に再現されている。(フジヤのHP “入荷案内”をご参照下さい)そして最後まで見つけ難かった、ルーフ上の“時計のデザイン”のデカールがこれ又見事に再現されている。このキットを傑作と言わずに、どれを傑作と言うのか!今年最高のキットだと思う。皆さんのご注文をお待ちしています。フジヤでDBR9をお買い上げの方には同車のル・マンの生写真をサービスいたします。  FAX03-3960-2268 メール注文もOKです。byu05132@nifty.com
“モデルカーズVol.125 発売”
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既にMC誌Vol.125 をお手元に置かれている方も多いとは思いますが、同誌で僕は2006年ル・マンクラシックのレポートを書きました。レポートはフジヤ・ニュース、ブログでも公開していますので、MC誌では違った切り口で書きました。でも僕としては同じイベントをレポートするのですから、新鮮味がない気がして、多少の後ろめたさも感じていました。でもそれは僕の思い過ごしだった様です。カラー2ページぶち抜きのMC誌はニュースやブログでは表現出来ない迫力です。是非見てください。(MC誌の編集部には日ごろお世話になっていますので、立ち読みでも結構ですとは言えませんが・・・)ル・マンクラシック レポートとしてありますが、どうも僕個人のしかも手前味噌の内容で、読者が欲しがるクラシック・レースのレポートがあまり無いのに、良くぞ編集長がOKを出してくれたなと感謝しています。フジヤの店内には多数の資料を用意してありますので、ご来店の折に見ていただきたいと思いますが、本当のル・マンクラシックの凄さはご自身で見ていただくのが一番です。
本の価格は¥1,550です。
“23日の続き”
エマニエル君からのメールによるとフィギュアーの塗装は通常JCボーディア氏が担当しているので、詳細は彼に聞いてくれとの事だった。以前僕がフィギュアーの目を入れるか入れないかについてJCに聞いたら「エマニエルの好きにさせている・・」と言って「目は入れないほうが良いのだがな~」とも言っていた。一体どうなっているのだろう?フィギュアーの目に付いてはご来店の方にも意見を聞いてみた。「下手に黒い点を入れないほうが良い。目だけ目立ってしまうから」、「肌色に少し茶色を混ぜて、目の周りを塗れば目らしく見える」等々。ル・マンミニチュア社の彩色したフィギュアーを見たら黒く目が入っていたが、違和感が無い。目1つ取っても奥が深い。社交辞令には違いないが、エマニエル君の「上手いですね~」の一言に僕は救われた。
“21日の続き”
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昨日はテニスから帰って、一休みの後にデニゼンのフィギュアー3体を塗りました。病み付きに成ることは請合います。面白い。『面白いから買ってんだよ。』とのお客さんの声が聞こえてきそうです。こんな小さいフィギュアーなのに実に表情豊かです。月曜日に塗った左と中央の2体はジャコバン広場でマシンの車検をしているオフィシャルです。左のフィギュアーの元の姿は優勝車にチェッカーフラッグを振るオフィシャルでしたが、両手の付け根を工夫して、上に持ち上げ、マシンをリフトに持ち落ち上げる検査機に指示を出している人に改造しました。大事なマシンを傷つけまいとして、ゆっくり作業をする係員に「そう、もう少し上まで・・」と気を使う表情が良いですね。中央の人は一連の作業を見守る役付のオフィシャルです。穏やかな表情がたまりません。2人が羽織っているジャケットの胸にACOのロゴが欲しくなりました。何か探して見ましょう。午後メールを見ましたら、エマニエル君から“制作に付いての感想”が届いていました。明日はそれをご披露しましょう。
“突然ですが、デニゼンのフィギュアーです”
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J.Cボーディアー氏が作り出す1/43スケールのジオラマはデニゼンのフィギャーが多く使われています。そのまま彩色するときもありますが、場合によっては足や手を一度本体から切り離して、好きなポーズに作り直してから彩色します。同系のヒストリックスを足しても、ポーズは150種類ぐらいしかない為に必要に応じて作らざるをえないのです。ハンダを盛ったり、削ったりとこれは面白い。僕もJCが作っているジオラマと同じように43のミニカーを配置して43の新たなジャンルを作りたいと前々から思っていましたので、手始めにデニゼンのフィギュアーを塗ってみました。原色は避けて、パスカル調に仕上げてみました。なかなかでしょう?早速エマニュエル君にこの画像を送って感想を聞こうと思います。
“LMCJ について”
昨年10月28,29,30日、MINEサーキット(山口県 美祢市)、参加台数:30台、ドライバー45名、パレードラン参加台数74台、入場者数21.500名(主催者発表)でLMCJは開催された。今年のル・マンクラシックの参加台数は400に少し欠ける台数から比べると規模は大きくない。むしろ小さい。だがACOの幹部連は大挙して来日し、PRに余念が無かったと聞いた。首都圏から遠く離れた所で開催された第1回目としては納得の行く数字だったと思うが・・・。ワシントンフォトの奥さんはACOの人と一緒にMINEに行った事を僕は後で聞いた。後日談を今年のル・マンで聞いたら、「散々だったわ・・・」と言っていた。かなりショックを受けたらしかった。でもこれが第1回目。日本にル・マンの冠を付けたレースが定着するまでにはかなり時間が掛かると思う。
“LMCJの優勝者”
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振り返るとテントの中に赤のALFA ROMEO SVZ 1957(No.53)があり、その前にはテーブルと椅子が置かれていて、その奥から日本語が聞こえてきた。僕は懐かしいと言うより、信じられないと言う気持ちで日本語の主を探した。その人は白と赤のレーシングスーツに身を包み、赤のレーシングブーツを履いたダンディーな日本人だった。彼の名はKOJIMAさん、昨年のMINEサーキットで開催された、ル・マンクラシックジャパンの優勝者だった。優勝のご褒美として2006年ル・マンクラシック出場を手にしたのだ。サーキットに出てゆく慌しい時を仲間と過ごしておいでの様子だったので、僕は後で彼にインタビューさせてもらった。「憧れのル・マンを走るのが、僕の夢だったんです。ル・マンを走らせて頂く事に感謝しています。」との彼の言葉に僕は何度もうなずいた。KOJIMA氏はなんとも大きな夢を現実の物にした、果報者だと思った。     次回は昨年のLMCLとサーキットで会った日本人について話そうと思う。
“12日の続き”
今日の東京の暑さは肌にジトッと張り付く暑さです。多分台風の影響でしょう。ル・マンでも暑さは何度も経験しましたが、逃げ出したくなる程の暑さではありません。これは湿気が影響しているからだと思います。ル・マンでは日差しが強くても湿気がないので、日中肌を刺すような暑さはあっても、日陰に入れば涼しい。僕たちはコリンさんに「又明日あいましょう」と別れを告げて、次にNo.3(1957~1961)のパドックへ移動した。ここにはASTON MARTIN DB4,AUSTIN HEALEY,LISTERJAGUAR, D,PORSCHE356、356A,356B,FERRARI250GT,250TR,MASERATI200SI,MGA、LOTUS ELITE,XV,XI,TRIUMPH TR3 、OSCA MT4、AC ACE  BRISTOL等々 が集められていた。この年代のマシンは全て模型化されているので、各マシンを確認しながら見て回るのに時間がかかる。ここで費やしている長い時間こそル・マンクラシックの醍醐味だと思った。モデルファクトリーHIROからリリースされたASTON MARTIN BD4 GTは色々な角度から穴が開くほど見た。その一画で日本語が聞こえた。(明日に続く)
“夏に寒い話を”
僕は一日何もしないでボケッとしている事が苦手です。何かしていないと落ち着かない。悠然と構えて、将来を見据えるなんて事は到底出来そうもない。そこで取り敢えずTVをかけたが、面白くない。どうしてどの局も同じようなタレントを使って、同じような番組しか作らないのだろう。視聴率を気にすると一番視聴率が稼げる若者が興味を持つ番組にするのが手っ取り早いとでも思っているのだろうか?もっとも若者に迎合しないと今の日本経済は成り立たない事は承知している。そう言うフジヤも子供、若者相手に一階でカードゲームを販売している。担当が違うからとやかく言うつもりはないし、これを無視したらフジヤは成り立たない。玩具を教育玩具として扱う玩具店も有るが、一般的には現在にマッチした、あまり教育的ではない商品を販売しないとお客さんが寄り付かない。そんな事を思っていたら、上の息子に「オヤジさん2階は自分の趣味に偏って、お客さんが要望する商品を扱ってないんじゃない・・」と言われ、僕はギクッとした。今晩は寝つきが遅くなりそうだ。
“お盆休みは模型でも”
TVが田舎へ帰る車が延々と高速道路を埋めている場面を映し出していました。お勤めの方はこの時期にしか休暇が取れないので、大変だと思います。親戚全部が東京なのでフジヤには田舎がありません。近々に新潟に親戚が出来そうです。そんな話は置いといて、そろそろ社会全体で休暇の取り方を変えてもいいのではないかしら。さもないと疲れるばかりで、休暇になりませんものね。ただでさえ熱いのに、渋滞にはまったら、イライラするばかりで楽しくないですよね。それよりもクーラーを弱めに掛けて、部屋で模型をいじりましょう。すっきりしますよ。でもこんな脳天気なことを言っているのは僕だけじゃないかとも、思っているんですよ。必要なものがありましたら、お盆休みの無いフジヤへご来店下さい。道路はすいています。
“昨日の続き”
彼女は4月に2週間の休暇をとって、フランスの旅行会社が主催する“中国ラリー”に参加した。昨年ル・マンで会った時彼女はしきりに僕に中国の事情について僕に質問していた。フランスから香港まで車を運び、そこからSHINSENへ移動して、スタートするラリーと聞いた。5月にマシンを颯爽と操る嬉しそうな写真を僕に送ってきた。彼女の趣味はドライブと絵画その両方ともプロの腕前。A級ライセンスを取ってサーキットを走ったり、絵画を描いて、人にあげたり、販売もしている。僕の考えていた趣味とは一線を超えた所に彼女の趣味はある。彼女は良く働く、そして余暇を有効に使ってリフレッシュしている。コリンさんの生き方を僕もしたいと思っているが・・・。
“このマシンで中国ラリーに参加のコリンさん”
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次に僕たちはNo1(1923~1939)に移動した。クラシック中のクラシックTALBOT,BUGATTI35、ALFA ROMEO 8C,BENTLY,RILEY BROOKLANDS,SINGER NINE,DELAGE,LAGONDA,ASTON MARTIN LM4,がパークしている。何かとても人間味ある温かさを感じるマシンだ。ダンロップブリッジを降り、木々に囲まれたテルトルルージュを走るこれらのマシンの姿に僕はうっとりしてしまった。ここに入る時だったファンソア婦人は僕の腕をつついた。訳が分からず婦人が指差す先にベージュのマシンがあり、そばでニコニコしているコリンさんがいた。僕は婦人の腕をつかんで逃げるそぶりをした。何しろ何時も恐ろしいジョークを飛ばすコリンさん。「僕はこの人を知りません」と言って逃げた。それからものの10秒もしない内に僕たちはいつもの会話になった。コリンさんはこのマシンで今年4月に中国のラリーに出場した。  続きは明日。
“AUTO  modelisme別冊 2006年 ル・マン写真集”入荷!
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“AUTO  modelisme別冊 2006年 ル・マン写真集”入荷! 
\2.100(税込み)
A4版 68ページ オールカラー
例年より早く今年のル・マン写真集が入荷しました。今年日本ではル・マンの情報が少なく、マシンの詳細を知りたくても入手できずにイライラが溜まっていたル・マン ファンの方はこれで溜飲をお下げ下さい。なんと言っても今年1番の注目マシンはASTON MARTIN DBR9 007,009、NO.62 No.69の4台です。昨年のASTON MARTINとはまるで異なるフロントの形状がはっきり分かります。(各6~7枚の写真)AUDI R10,LAMBORGHINI MURCIELAGOも各8枚の写真が掲載され詳細が分かります。おまけとしてLM1926出場車のミニカー42台と3ページカラーぶち抜きのJ.Cボーディアー氏のジオラマがお楽しみいただけます。皆様のご注文をお待ちしています。 
“タミヤ モデラーズ ギャラリー”に行く
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8月8日まで東京・池袋・東武デパートで開催された“タミヤ モデラーズ ギャラリー”へ行ってきた。展示数は例年とほぼ同じだが、内容の乏しさが少し気になった。ここでもモデラーが少なくなっている現状を見る事になってしまった。その中でも“改造人形”コーナーは異彩を放っていた。僕は今1/43のジオラマに夢中になっているので贔屓目に見たとは思うが、実に素晴らしい。テニスプレイヤーの”シャラポア“(永吉 実朋氏)に見とれてしまい、反対側に展示してあった同じテニスの”宮里 藍“(小畑 恵司氏)も同様に見とれてしまった。見事だ。どうしてこんな表情まで再現できるのだろう。これは模型を作る、または組み上げる能力とは別の能力なのだろうと思った。どんな人がこれを作ったのか是非一度お会いして、お話をお聞きしたい。僕が現在作っているル・マンの”車検場“は遅々として進まない。この情景に必要なのはドライバーやピットクルーではなく、普段着の人たちだ、このお2人が普通の人を作ればどの様になるのかが気になった。
“ル・マン クラシック当日”
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一度家に戻り、昼食後サーキットに向かう。子供の頃夏休みに蝉を追い掛け回していた光景がフト思い出した。午前中涼しい内に宿題を済ませ、11時ごろ友達と蝉を取りに行き、何匹か採って、一度家に帰り、昼食後又蝉を取りに出かけた。そんな気安い思い出僕たちはサーキットに向かう。もしかするとこれがル・マン在住の人たちの気持ちではないかと思った。スタートにはまだ時間がある。僕たちはこれも何回も通ったサーキットの道を歩き、トンネルを潜った。でも毎回違った発見がある。今日はピット裏に時代別に6部門に分かれたマシンを見て回った。僕たちが最初に入ったのはNo.3 (1957~1961)のパドックだ。ASTON MARTIN DP212,DB4 GT、DBR1,PORSCHE 550A、RSK、ARERA ABARTH GTL、RS60 SPAYDER, 356B、FERRARI 250 GT BERLINETTA,250GT CALFORNIA,246S、250TR,MASERATI 200SI、LISTER JAGUAR,KNOBBLY、LOSUT XⅠ、XV 、ELITE, ALFA ROMEO GIULIETTA SZT,JAGUAR D type、有る、有る、有る、有る。僕は夢中になってシャッターを切った。
昨日の続き
部屋の周りの棚にはル・マンに関する資料が整然と並べられていた。海外の顧客に発送するための荷物が積まれていた。暫くして代表のDさんが帰ってきた。人懐こいフレンドリーな物腰だ。日ごろの礼を言って僕たちは再会を楽しんだ。「6月に注文した雑誌がまだ届いていない」と言うと、彼は「当方のミスだ、直ぐに送る」と言ったのに、今もって送ってこない。変なヤツ!一昨年最初に会った時に僕は言った事がある。「日本人は英語なら貴誌を読む事が出来るので、仏語と英語の併記にしてくれ」と、彼は「まだ無理だ」と言っていた。内容が良いのだから、以前からぜひとも読みたいと僕は思っていた。仕方ない等分絵だけを楽しもう。
“LE MANS Racing 社訪問“
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ジャコバン広場近くにあるジャコバンセンター歩いて3分程の場所にLE MANS Racing社の社屋がある。その直ぐ脇にはル・マンで1番有名なレストラン “ル・マン レジェンド”があり、ここには過去に使われたル・マンのレーシングスーツやオフィシャルの服やフラッグ、標識、有名マシンのステアリング、ライト類が沢山ディスプレーされている。これを見ながら食事をするのはとても贅沢な気分を味わえる。LE MANS Racing誌は隔月に発行され、文字通りル・マン関連の記事でル・マンの今昔を紹介してくれる。(現在Vol.34まで発刊)ファンソア婦人に案内されて僕たちは石作りの建物の中に入った。この建物はフランスの代表的な物で、入口は狭いが中に入ると広々としていた。事務の若い女の子は代表のDが間もなく帰ってくるといって僕たちを奥の部屋に招いた。
“隣接のドライバー養成所”
そこから物も100m程の所にドライバーの養成所があります。生憎当日は休館で見物は出来ませんでしたが、ガラス越しに多数のマシンが並んでいるのが見えました。そう言えば確かここの校長はペスカルロさんだったと思いますが・・。養成所の近くには小さいサーキットがあり、将来のパイロットがここで訓練をするようです。オートスポーツを実体験できる場所があり、マシンを整備する場所があり、ル・マンには着実に次の世代に引き継ぐ準備が整っています。近い将来トラム(市電)がここまで伸びて、この辺に新しいゲートが出来るようです。
“テクノパーク”
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ル・マンのサーキットは約1周13.5kmで、テルトルリュージュからポルシェコーナーまでは一般公道が使用されていることは皆さんご存知かと思います。がその中の様子については余り情報が無く、お分かりではないかと思います。テルトルリュージュからユノディエールに出て1/3程走ると右にサーキット内に入る道があり、暫く行くと小さな交差点にぶつかり、そこを左に折れた所に、ペスカルロ・チームとクラージュのファクトリーがあります。建物の大きさは町の体育館程です。2社とも玄関を入るとすぐ事務所があり、ガラス戸の扉を開けると、そこに現役のマシンが並んでいました。僕にはマシンがとても神々しく見えました。整然とした工具類に囲まれたマシンをマカニック達が忙しそうに作業を進めていて、その奥は撮影はおろか立ち入り禁止で、秘密の技術が隠されているスペースがありました。作業を終えたマシンはここからサーキットに持ち込まれ、テストを繰り返すのです。生憎ペスカルロさんは留守でしたので、サインはもれえませんでしたが、奥さんと記念の撮影をさせてもらいました。次回は隣接されているドライバー・スクールをご紹介ぁw)
“28日の続き”
今年日本のTVでは6月のル・マンの放映が無かった。そこで僕はファンソア婦人に現地で当日放映されたTVをビデオに撮ってくれるように頼んだ。そのビデオはかなり前に届いてはいたが、家のビデオデッキで再生しようとしたが、フランスと日本のシステムの違いで音声は聞こえるのだが、映像が出てこなかった。そこで知り合いの放送関係者に聞いたら、システムを変換する会社を教えてくれた。早速それを持ち込み日本のデッキで対応するビデオに変えてもらい、本日家のTVで見た。たぶん日本でこの映像を僕が最初に見る事になるのだと思うと興奮した。週末からフジヤの店内で公開しますので、是非お越し頂き、ご観覧下さい。      次回はル・マンのサーキット内に有る、テクノパーク(ペスカルロ、クラージュのファクトリー)を紹介します。